日刊ササボン

雑食系ライター/エディター・佐々木正孝プレゼンツ ラーメンと仕事あれやこれやの日々

藤枝流「朝ラー」が下北沢に登場!ダブル温冷で新感覚の麺体験

朝ラーメンといえば喜多方ラーメンも知られてますが、静岡県藤枝市も「朝ラー」とイコールで結ばれるエリア。市内には10店以上で朝ラーを提供しており、朝のラーメンが風土、カルチャーとして根づいている土地なんですね。

 

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そんな藤枝と下北沢がいろいろ企画を仕掛けているようで、その一環として展開しているのが、朝ラーメン店『まる藤ラーメン 下北沢』(1月20日~3月24日までの期間限定)。
このコラボに携わるしもブロ・黒田正信氏から情報を聞きつけ、さっそく試食会に行ってきました。

 

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藤枝流朝ラーは「温」と「冷」をセットで食べるのがスタイル。元祖と言われる志太系は魚介系ですが、現地では醤油や豚骨系でも温冷をラインナップする店が増えているとか。 

 

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今回の『まる藤ラーメン』は
温:ゆず香るカツオだし醤油ラーメン
冷:天磯おろし冷ラーメン

が、セットで1150円。

まずは「温」が提供され、ほどなくして「冷」が運ばれてくる、という様式です。

 

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こちらは、先鋒の「ゆず香るカツオだし醤油ラーメン」

窓際の席に座ったら、期せずして自然光差し込み。これまた朝ラーっぽいですね。


藤枝は焼津に近いというロケーションもあり、カツオだし、そしてババっとかかったカツオ節とも親和性があるのでしょう。ゆずフレーバーをファーストタッチにして、やわらかい醤油で味わいのブロード攻撃。ツルツルと口中を滑っていく細麺も好印象。
 

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ギアを上げて食べ進もうかという頃合いで、「冷」の「天磯おろし冷ラーメン」見参。こちらは一転、涼やかなガラス麺皿。こちらもカツオ節とあおさ、大根おろしに梅ペースト、ショウガも盛られて多彩な味わいと食感。しすてメイン具材に鶏天で食べごたえもバッチリ。「温」の細麺から変わって、歯応え重視の太麺を合わせてある。

 

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温度差だけではなく麺やボリューム感、食感、スープの甘感も好対照。ポーションも小さめなので、2丼でも腹十一分目ぐらいの、ちょうどいい塩梅。この出店情報をアップしたら、朝ラーを知るフリークたちは「藤枝ラーメンが東京で!」と驚いてましたが、温冷併せ持つ企画感と話題性、井の頭線小田急線ユーザーに広く訴求しそうです。営業時間は朝6時から13時まで。飲み明かし後に行けるスタミナはないですが、元気ある方はゼヒ。

 

[朝ラー]まる藤ラーメン 下北沢(フジエダ勝手にプロデュース、通称「フジカツ」)
https://fujieda.pro/marufuji-shimokitazawa/

読書記録:『ザ・ラーメン ガイドブック 食べある記 全国203店』(1985年刊)

ザ・ラーメン ガイドブック 食べある記 全国203店
1985年8月10日発行
林家木久蔵監修 全国ラーメン党事務局編著

 

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代々木にあった木久蔵ラーメン(全国ラーメン党 代々木店)には行ったことあったけど、現木久扇師匠の著作は初めて読んだ。当時、ラーメン党は「党員1万名、機関誌の『ザ・めん』は隔月5万部発行」だったというから恐れ入る。カッパ・ブックス的な新書サイズで1ページ1店を紹介しているが、さつまっ子や特一番、味千ラーメンが本店支店含めて複数店載っていたり、ラーメン専門店よりは中華料理店が目立ったりと、編集面では牧歌的な印象。
 
昭和60年発行なので、大門八郎『ラーメンの本』のジャスト10年後、「はじめに」では「ラーメン店ひとつ選ぶのもファッション。単においしいだけでなく、個性あふれるお店を集めた」(大意)とあるように、カフェバーブームの渦中らしく、「個性」を切り口にまとめている。
 
「味のプロが全力投球のシティ派ラーメン」(赤坂一点張)
「貴方も広げよう、ラーメン友達のワッ!」(永楽)
 
あたりのキャッチセンスも、遠くになりにけり80年代だなあ。
さんま、タモリ、たけしのBIG3がラーメン推しコラムで登場していたり、うつみ宮土理朝日新聞有楽町本社時代の『ミルクワンタン鳥藤』に言及していたり、昭和芸能の側面からディテールを見ても面白い。
 
刊行から38年を経て、203店の生存率は2割~3割ぐらいなんじゃないか、、というのが所感。名店として君臨する『吉村家』が創業8年め、『びぜん亭』が6年め、『道頓堀』が2年めなんだから、推して知るべしの世の移り変わりだけど。まあそれより何より、道頓堀の店名の由来が「全国ラーメン党の副会長が横山やすしさんなので、大阪の地名でつけた」と紹介されているのが一番驚いたんですけど。

読書記録:『繁盛する店が美味しいのだ』(1979年刊)

『繁盛する店が美味しいのだ』(桑原才介)1979年出版
 

 
日経流通新聞で昭和55年から連載されていた「味な経営店くらべ」の単行本。70年代末東京の「西洋料理」「中国料理」「朝鮮料理」「和食」「ラーメン」「カレー」「居酒屋」「パブ」「喫茶」145店をガイド。著者は「五感を総動員した味」「利益率1%を突き詰める経営哲学」「食文化がいっぱいつまっている」を繁盛店の条件、という。
 
「個人経営店を中心に繁盛店の分析」という主旨で、メニュー価格、客単価(昼・夜)をチェックしていて資料性高し。店舗のラインナップを概観しても、トニーローマ、津つ井、龍の子、おけい、つばめグリル、壁の穴、いもや、つな八、本むら庵、お多幸、とんき、鳥もと、いせ源、ナイルレストラン……エバーグリーンな名店の、昭和時代のグルマン記述は興味深い。
 
ラーメン部門は桂花、高揚(中野)、さぶちゃん、永福町大勝軒、チャーリーハウス、直久すきや橋店、なかよし(赤坂)、はせ川。古参ラーメンフリークならうなずく並びだ。
 
ちなみに、永福町大勝軒のラーメンは550円(44年後の現在は1130円)といったように、多くの店が客単価500円程度なわけだが、高揚は客単価1000円で、本むら庵と同レベル。1000円の壁を当時から軽々と越えていたのね。「最近のラーメン店には『手打ち』というタイトルがめったやたらと増えている」という紹介文の書き出しも、近年のラーメンシーンに通ずるものがある。

ラーメン店主の腕組み問題

過日、久々に高円寺へ。

 

青木健『教養としてのラーメン』& 川口友万『「至極」のラーメンを科学する』W出版記念イベント

 

へと足を運んだ。青木氏『教養としてのラーメン』はもちろん、川口氏の著書も興味深く拝読してきた私としては、足を運ばないわけにはいかない。

 

ラーメンマニアックス的な含蓄と言うよりは、人に寄った観察眼が生かされた青木氏トークを聴いていたわけだが、なるほどと膝打ったのが最初のお題「ラーメン店主が写真で腕を組むのはなぜか」

 

まあ、SNS的にはネタ的に消費されることが多い「店主腕組み」。

今のカジュアル若手店主はむしろ避ける傾向すらあるだろう。

ラーメン好きからしたらコモディティ化しているというか何というか、

そこはもはや論点じゃないんだよ、と思うが、

マニア外からは執拗ないじりがあって閉口することもある。

 

なるほど、と思ったのが、

この「腕組み」が、いつから一般的になったのかという問題だ。

 

青木氏は、90年代のラーメン本ではほとんど店主腕組みが見られず、2000年代初頭からよく見られるようになった。それはTBS『ガチンコ!』で佐野実氏が講師を務めた「ガチンコラーメン道」に由来するのではないか、と指摘する。

 

確かに、コックコートでシュッと腕組みした佐野氏の姿は原風景だ。

「安彦立ち」ならぬ「佐野組み」と呼んでよいのかもしれない。

 

ということで、『教養としてのラーメン』の当該年表を眺めてみると、

「ガチンコラーメン道」がスタートした2001年の項に気になるトピックを見つけた。

 

☆ラーメン集合施設(ラーメンコンプレックス)が全国各地に増加し始める

 

である。

振り返れば、90年代のラーメンはメディア主導によって人口に膾炙した。

1998年元日のTVチャンピオン「日本一うまいラーメン決定戦」石神さんの紹介による和歌山ラーメン。ご当地、ご当人もテレビ番組の影響が強かったであろう。

ゼロ年代以降もTVチャンピオンはじめ、もちろんマスメディアパワーは健在だったが、そこで一般層に刺さる接点として「ラーメン集合施設」「ラーメンイベント」は無視できないプレゼンスを持ったと思うのだ。

 

青木年表をふたたびたどると、2003年には

 

☆この年から翌年にかけて30ヶ所ものラーメン集合施設がオープン

 

とある。

佐野実氏のガチンコ店主像が刷り込まれた市井の人たちは、そのイメージを持って集合施設、そしてゼロ年代末からとみに活発化するラーメンイベントへ足を向けたであろう。当然、そこで期待される「ラーメン店主」のパブリックイメージは「腕組み」だ。

 

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私も資料派ラーメンマニアとして考現学的なアイテムを収集してきたが、

2009年開催の『大つけ麺博』

2011年開業の『東京ラーメンストリート

資料では、ものの見事に「腕組み」姿が席巻している。

 

「ガチンコラーメン道」を契機に台頭した「腕組み」は集合施設、ラーメンイベントの誘客キャッチアイコンとしてブレイクしたのではないか。そしてそれは2014年の佐野実氏逝去、2015年の『蔦』がミシュラン東京一つ星獲得あたりで収束していったのではないか。

というあたり、今度青木さんと語ってみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

石神秀幸ラーメンSELECTION2008(双葉社)

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 2007年11月刊行。

 

石神秀幸が斬るラーメンブーム 1998-2007

・“香味油”が果たした飛躍的な香りの向上

・自家製麺の普及によって製麺所の意識も変わった

・業務用スープの進化がラーメンの底辺を上げた

豚骨魚介ラーメンが首都圏を席巻している

・今から10年前、首都圏は「背脂」と「家系」だった

・重層型 濃厚魚介 そして鶏白湯へ多様化

・痺れる辛さが魅惑的な汁なし担々麺の台頭

 

●巻頭特集 10年間載りつづけた殿堂入りの名店

麺屋武蔵(山田雄店主インタビュー)

大文字(中村紘店主インタビュー)

来来来(原田義行店主インタビュー)

青葉 飯田橋

与ろゐ屋

多賀野

桃桜林

武田流古式カレーライスと支那そばの店 インディアン

むらもと

らぁめん 一福

らーめん 麺好

博多・長浜とんこつラーメン 御天

一二三

千ひろ

長崎ちゃんぽん福(丸囲み)

くじら軒 本店

元祖北海道旭川ラーメン ぺーぱん

支那そばの里

 

●NEW COMER2008(抜粋)

麺・酒処ぶらり

真ごころラーメン竹

麺えどや

麺や璃宮

ajito

らーめん はやし

うさぎ

麺や 七彩

愚直

いつ樹

ラァメン家 69’N'ROLL ONE

麺やBar渦

大黒庵 本店

喜今日屋

麺や双六

中華そば 大咲

麺屋たつみ 喜心

うさぎや

つけ麺 目黒屋

房州千倉らーめん 華の蔵