ラーメン店主の腕組み問題
過日、久々に高円寺へ。
青木健『教養としてのラーメン』& 川口友万『「至極」のラーメンを科学する』W出版記念イベント
へと足を運んだ。青木氏『教養としてのラーメン』はもちろん、川口氏の著書も興味深く拝読してきた私としては、足を運ばないわけにはいかない。
ラーメンマニアックス的な含蓄と言うよりは、人に寄った観察眼が生かされた青木氏トークを聴いていたわけだが、なるほどと膝打ったのが最初のお題「ラーメン店主が写真で腕を組むのはなぜか」。
まあ、SNS的にはネタ的に消費されることが多い「店主腕組み」。
今のカジュアル若手店主はむしろ避ける傾向すらあるだろう。
ラーメン好きからしたらコモディティ化しているというか何というか、
そこはもはや論点じゃないんだよ、と思うが、
マニア外からは執拗ないじりがあって閉口することもある。
なるほど、と思ったのが、
この「腕組み」が、いつから一般的になったのかという問題だ。
青木氏は、90年代のラーメン本ではほとんど店主腕組みが見られず、2000年代初頭からよく見られるようになった。それはTBS『ガチンコ!』で佐野実氏が講師を務めた「ガチンコラーメン道」に由来するのではないか、と指摘する。
確かに、コックコートでシュッと腕組みした佐野氏の姿は原風景だ。
「安彦立ち」ならぬ「佐野組み」と呼んでよいのかもしれない。
ということで、『教養としてのラーメン』の当該年表を眺めてみると、
「ガチンコラーメン道」がスタートした2001年の項に気になるトピックを見つけた。
☆ラーメン集合施設(ラーメンコンプレックス)が全国各地に増加し始める
である。
振り返れば、90年代のラーメンはメディア主導によって人口に膾炙した。
1998年元日のTVチャンピオン「日本一うまいラーメン決定戦」石神さんの紹介による和歌山ラーメン。ご当地、ご当人もテレビ番組の影響が強かったであろう。
ゼロ年代以降もTVチャンピオンはじめ、もちろんマスメディアパワーは健在だったが、そこで一般層に刺さる接点として「ラーメン集合施設」「ラーメンイベント」は無視できないプレゼンスを持ったと思うのだ。
青木年表をふたたびたどると、2003年には
☆この年から翌年にかけて30ヶ所ものラーメン集合施設がオープン
とある。
佐野実氏のガチンコ店主像が刷り込まれた市井の人たちは、そのイメージを持って集合施設、そしてゼロ年代末からとみに活発化するラーメンイベントへ足を向けたであろう。当然、そこで期待される「ラーメン店主」のパブリックイメージは「腕組み」だ。
私も資料派ラーメンマニアとして考現学的なアイテムを収集してきたが、
2009年開催の『大つけ麺博』
2011年開業の『東京ラーメンストリート』
資料では、ものの見事に「腕組み」姿が席巻している。
「ガチンコラーメン道」を契機に台頭した「腕組み」は集合施設、ラーメンイベントの誘客キャッチアイコンとしてブレイクしたのではないか。そしてそれは2014年の佐野実氏逝去、2015年の『蔦』がミシュラン東京一つ星獲得あたりで収束していったのではないか。
というあたり、今度青木さんと語ってみようと思う。