日刊ササボン

雑食系ライター/エディター・佐々木正孝プレゼンツ ラーメンと仕事あれやこれやの日々

山形ラーメンと鳥海山、あるいは鳥海山

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『中華そば 葉山』を取材する。

店主の齊藤さんは山形出身だ。彼が幼いころに食べた思い出の中華そばを独学で再現した……というのは各所で語られていること。秋田出身の私は隣県なのでそりゃー親近感も湧く。東北六県は九州七県などと違って共闘より個々で立つ傾向にはあるのだが、まあそれはそれ。

 

齊藤さん「山形も秋田もね、鳥海山つながりですからね」

私「? そ、そうすね。鳥海山…?」

齊藤さん「鳥海山…? 鳥海山すよね」

 

顔を見合わせる、私と齊藤さん。漢字で書くと何が何だかわからないが、

齊藤さんは「ちょうかいざん」と濁り

私は「ちょうかいさん」と清音で発音しているのだ。

 

高校登山部時代の2年次全県大会の舞台だったので、大会前の偵察山行でかれこれ30回以上は登った、思い入れのある山。秋田県南から見ると富士山のごとく美しいフォルムを見せるあの山は、断じて「ちょうかいさん」なのだ。秋田県民歌にも「秀麗無比なる 鳥海山(ちょうかいさん)よ」とうたわれているしね…。無論、それは山形県人も同じだろう。「ちょうかいさん」なんてありえない、と思っているはずだ。

 

しかし、これは調べてみるとあっさりと決着がつく。国土地理院の地図では「ちょうかいざん」という表記だ。オフィシャルお墨付きが山形呼称ってのは、山頂が山形県側だってことに拠るのだろう。

 

まあこれも紆余曲折があったようだ。富士山が山梨県か静岡県かで揉めてきたように、お国を代表する山がどっちに属するかってのは一筋縄ではいかない問題。鳥海山が秋田か山形か問題もかなり根が深い。

 

さかのぼれば、藩政時代。秋田側の矢島藩と山形側の庄内藩。両者の藩境争いは宝永年間(1700年ぐらい)に端を発し、矢島藩が江戸幕府訴状を提出するというシリアスな展開に。しかし、14万石の庄内藩と1万石の矢島藩では政治力でも発言権でも開きがあったか。幕府の裁可では庄内藩に軍配が上がった。敗訴後、矢島藩の代表は庄内藩の江戸屋敷に乗り込んで割腹したというからまあ穏やかではない。50万年以上前から火山で活発に活動してきた山本体としては名前も所属もどこ吹く風だろうが、この山を巡って血が流れた過去もあったのだ。

 

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“ちょうかいさん”と“ちょうかいざん”の違いで、そういえばラーメン的にも思い当たる節が、もう一つあった。

神保町でぬくもりのある山形ラーメンを提供している『ととこ』にて、滋味あふれる一杯を食べていた時のことだ。

 

店内に貼られていた山形県観光協会か何かのポスター。これも鳥海山がメインモチーフだったのだが、そのフォルムは、私が見慣れたソリッドな“ちょうかいさん”ではなかった。穏やかで母性をたたえた、ゆったりとしたザッツ“ちょうかいざん”。映画『おくりびと』で背景にある鳥海山も、あんな感じかな。このガラリと変わる印象が、清音濁音の語感の違いを生み出しているのかもしれない。

 

ま、齊藤さんと私もそうだったように、秋田と山形で呼び方が違うでも、お互い「へえ、そうなんですか」で終わることではある。それぞれの胸のうちにそれぞれの鳥海山がある。山もラーメンもそう。山形ラーメンも秋田ラーメンもそれぞれ旨いで、それでいい。

 

山形出身の店主が繰り出す『葉山』『ととこ』を食べたら、秋田県(それも県南の)出身の品川さんが手がける『BASSOドリルマン』のラーメンを食らって「うめなッ!」とぼそりつぶやけばいいのである。