新緑札幌麺旅
ライラックが盛りの札幌に来て、いろいろなラーメンを食べた。
印象に残ったのは、札幌ラーメンシーンの智将・関山氏率いる『吉山商店』の「札幌油そば」。
味噌ダレ合わせつつもかき混ぜに箸力を要さないスムーズさと、食べた感を担保してくれるバラエティ具材。旨し。「味噌らーめん」も、さすが安定の吉山商店(初めてだけど)
こちら、念願だった『狼スープ』の「味噌卵らーめん」。
狼は生きろ豚は死ねと呟きたくなるクールな店名だが、唐辛子がピリッとしつつもやさしげな、ハートウォーム味噌ラーメン。
幾多のプロレス名勝負が繰り広げられた札幌中島体育センター近くにあり、店主はタイにボクサー修行に出て店を休業してた経歴もある剛毅な人物。闘いのアウラが静かに立ち昇る、そんな牙も感じさせてくれた。
新緑のエナジー充溢、札幌の春。
春のライター仕事を紹介するよ
最近、ライター仕事をなかなか紹介してなかった。医療系ブックライティングの仕込み、各種業界の広報誌会報誌、オウンドメディアにネイティブアド。
で、表紙入りで取り上げたいのはこちらです。
タワマンの一室をハウススタジオにした、
こんなスペースで突貫で撮りました。
「デコパージュって楽しいね〜♩」
「そのマステ取ってー」
「ケータリング、どこにするぅ〜?」
なんて言葉が飛び交うわけではなく、
「ちょっとタバコ吸ってきます」
「瞬間接着剤で手の皮が…」
「メシ、カツ丼でいいすかね」
体裁はガーリーだけど、意外に
ガーリック好きそうな漢たちも作ってる。
さて。
100均アイテムをお洒落にパッケージしてみました! というコンセプトってことで、この春は100均を回りまくってた私だったが、何より渋谷のセリア撤退は痛かった。
ダイソーは原宿本店と渋谷、キャンドゥは西武新宿ぺぺが決定打になり得るが、セリアは渋谷マルイと新宿マルイアネックス、吉祥寺丸井といったライトヘビー級店舗を回らなければ、総ざらえは難しい。渋谷店の代替として代官山ディセ店を候補に入れてみたが、やはり次点だなー。識者が推薦したアイテムでも、やはりどうしても入手できないものもあった。
セリアムックはやたらと出てるし、セリアDIY系ブロガーも地方に結構点在なさってて、ある種の鉱脈ではある。だけど、都心型ライターが定点観測していくのは、なかなか難しいな。
やっぱ、無印、成城石井、カルディあたりでお願いします。
紀伊國屋新宿サウスがゆく
ついこの間だと思ってたらもう20年になるのか!
こちらはいつ行っても、棚もフロアもフレッシュな印象だったが。
夜中、ウッドデッキでバイト仲間と駆けっことかしてたが、
そんなことするよーな時代からは、さすがに20年も経つわな。
渋谷のブックファーストといい、池袋の芳林堂といい、
ビルまるっと1棟の書店が消えるのは、何ともいえない喪失感がある。
吉祥寺の醤油ラーメン
パパ友からエマージェンシー問い合わせ。
「吉祥寺でおすすめの醤油ラーメンだと、さてどこ?」
これは意外に難しい問題。
ゼロ年代初頭、駅から徒歩5分以内に30軒ある、と言われてた吉祥寺ラーメン(今はどうか!?)
家系やつけ麺、塩、鮮魚系で推奨できる店はあるが、醤油か…。
さくらい、みんみん、麺僧あたりの庶民派もリストアップしてバックする。
パパ友からは「麺僧あったね! 昔よく行ってたよ」とレス。そう、90年代からの吉祥寺ウォーカーには懐かしいのが、ここ麺僧なのでした。
ちょっと背脂浮きつつ、醤油が立ちすぎず。あっさりの基本線は崩さないマイルドな醤油ラーメンの佳作。
そういえば、あの頃よく行ってた「一圓」にも最近ご無沙汰だ。懐かしいな〜と思い出して連想は広がる。
このあたりの、ミッド中央線に数店舗を構える昭和ラーメン。まとめて考えてみると面白いかもしれない。タチバナ的と言いますかね。
堀辺正史 ハヤブサR.I.P.
骨法の堀辺正史氏、元FMWのハヤブサ氏の訃報を相次いで聞く。
ふと思い出して、押入れをゴソゴソ。
あった。学生時代からの一時期、観たプロレス、格闘技、ライブ、コンサート、一人会、映画、トークイベント、芝居の半券を集めていたのだが、その中に、堀辺氏とハヤブサ氏ゆかりのものがあった。
FMWは、ボクシングのスピンクスとか、ロシア柔道のベリチェフやらテコンドー選手が入り乱れた世界最強総合格闘技タッグリーグ戦最終戦。東京ベイNKホールというお洒落なスペースで奇人シークに額を割られ鮮血をほとばしらせていたのが、まだ若手、本名江崎英治時代のハヤブサだった。
当時、90年代前半のプロレスファンはシューティングなどのガチ格闘技からU系、メインストリームの新日全日、そしてインディー、デスマッチのFMWやW☆ING、全女などの女子プロまでそっくり包摂して、丸ごと食らいついていた。何とも乱暴で豊かな時代だった。
今、UFCとオカダカズチカと欠場プロレスを並行して観ている人も…もちろんいるのだろうが、同時並行で同量の熱を注ぎ込めたのは、あの時代ならではだった気がする。プロレス格闘技というジャンルで、プレイヤーもメディアも、そして受け手も若かったのだろう。小さな紙プロが、その旗手というか先導獣だね。
そんなごった煮な空気は、今で言えば、二郎からミシュランまでまるっと食べて評論する、ラーメンフリークに感じられるような気もする。
堀辺氏とハヤブサ氏の訃報を聞いて、そんなことを考えた。
90年代も遠くになりにけり。